祇陀寺について

祇陀寺と鶯宿温泉の起り

祇陀寺の二世久山俊昌和尚は加賀の人であるが、俊昌和尚と同国の人である材木師が木材伐採のため岩手郡の雫石に入っていた。
ある日川岸の岩の間から清らかな湯がコンコンと湧き出ているのを発見した。そのときふと傍らを見ると足の折れた一羽の鶯が、頻りに湯に浸っていたが、数日後には全癒して、うれしそうに西方に飛び去った。
たまたまそこへ、一人の旅僧が通りかかって、この話を聞き、さては、日頃信心する仏陀が鶯の姿になって、この薬湯を人間に授けられたのであろうと思い、鶯宿の温泉と名づけた。
当時、南部信尚公の愛妾が、永年の宿痾に悩んでいたが、医薬の効もないところから世をはかなんでいた。
これを聞いた旅僧は、愛妾の方に薬湯に入浴することを勧めた。すると不思議なことに名医もサジをなげていた難病が忽ちにして治った。
旅僧は名を融峯和尚と名乗っていたが、その功により祇陀寺の六世に取り立てられ、上鶯宿一帯の土地を賜った。
公の愛妾は、木村妥女秀経の女で、後には公子彦六郎正陳の妻となった。承応三年の五月死去、遺言によって遺骸は祇陀寺に葬られ、法名を慧室妙安といわれている。(祇陀寺所蔵鶯宿温泉記=おらがさと昔話会三十八号より)
その後、時代の経過とともに、温泉一帯の土地は他の人の手に渡ったが、鶯宿温泉は今はホテル、旅館の立ち並ぶ温泉郷となっている。

鶯宿温泉の歴史を詳しく知りたい方は鶯宿温泉のHPに紹介されている。
鶯宿温泉ホームページ


寺だより

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(2011年3月14日)


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