寺だより

今年は異常なくらいの暖冬でした。2月13日になって初めて例年を下回るマイナス7度以下の気温でした。そして2月14日は、途中から雨に変わるという予報の雪が、夜まで降り続く大雪。立春が過ぎてやっと冬が来た感の盛岡です。写真は2月14日の祇陀寺です。木の枝は重い雪で垂れ下がり、墓地も雪をかきわけないと行かれません。本堂までの参道だけはなんとか除雪してあります。

2月15日はお釈迦さまのお亡くなりになった日(ねはんえ涅槃会)

お寺では涅槃図(お釈迦さまがお亡くなりになったときのありさまを描いたもの)を掛けて、報恩の法要を行います。
盛岡は寒いので、約一月遅らせて3月に行います。

お釈迦さまは、80歳のときに生まれ故郷に向かって最後の旅を始めました。クシナガラに着くとお釈迦さまは一対のサーラ樹の下で横になりました。頭を北に、顔を西に向け、右手を枕にされて、右脇を下にし、足の上に足を重ねた格好でした。そして集まってくる弟子たちに最後の説法をしました。このとき、サーラ双樹には白い花が咲き、白い花びらが次々と降ったといわれます。
お釈迦さまは最期の別れを惜しむ阿難陀(あなんだ)に次のように説かれたと伝えられています。

「泣くのはやめよ、別離は必ずあるのだ。これは不変の真理なのだ。我が亡き後も、怠らず努めよ。」

お釈迦さまの臨終の近いことを聞いて、多くの弟子、王族、老若男女が集まり、天から諸天諸神が降り、また小鳥や、虫、動物なども集まり嘆き悲しんだといわれます。
お釈迦さまが亡くなって7日目に火葬をしようとしましたが、いっこうに火がつきませんでした。そこに、やっと到着した摩訶迦葉(まかかしょう)が、別れを惜しみ、お釈迦さまを3度まわると、火のつかなかった薪が自然に燃え始めたといわれています。
お釈迦さまは、自らの教えを受け継いでくれる摩訶迦葉の到着を待っていたのでしょうか。

祇陀寺「涅槃会お飯台」のご案内

3月16日(金)午前10時より
法要

  • お釈迦さま報恩供養
  • 檀信徒先祖代々総回向
  • 法話
  • ミニコンサート
  • 会食


ページの先頭へ戻る