寺だより

もうすぐ春です。

毎朝氷点下の寒い日が続いている盛岡です。お墓や境内にはまだまだ沢山の雪が残っています。ここ一週間くらいは、日中にはようやく春めいた日差しが見られ、雪も溶け始めてきました。そうかと思うと、また一面を白くする雪が舞ってきたりと三寒四温の今日この頃です。
さて、三月は涅槃会のお飯台と春のお彼岸です。
二月十五日は、お釈迦さまが、クシナガラ城に近いバッティ河のほとリで、お亡くなりになられた日です。お釈迦さまは、人間が煩悩や業や苦惑から解放される道、生きることの本来的意味を明らかに示してくださいました。お釈迦様のお陰で、私たちはすくいの道、仏道をあゆむことができるのです。そのような遺徳に永遠の感謝をささげる報恩の法要を、祇陀寺では三月十六日に、お釈迦さまが涅槃に入られたありさまを描いた大きな掛軸をかけて行います。
またお飯台に続いて十七日から二十三日までは春彼岸です。すべての生き物にとって、かけがえのない命。自分に命を授けてくれたご先祖さまに感謝いたしましょう。
どうぞ、春の訪れとともに、ご家族みんなでお寺詣り、お墓参りをいたしましょう

お彼岸です。ご先祖さまに感謝致しましょう。

3月17日は彼岸の入りです。「彼岸会」は仏教国の中でも日本特有のものです。「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように、仏教行事としてだけでなく、日本人の日常の暮らしの中に息づいてきました。
彼岸は「悟りの岸」を指し、迷いの世界である「此岸」に対する世界です。迷いを捨てて悟りの境地へと向かい、ご先祖さまを供養する機会となっています。披岸会の本来の意味は、彼岸に行くことを願って、行いを慎むことです。
彼岸に渡るためには犬乗仏教では「六波羅蜜」の実践が勧められます。六波羅蜜とは 布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧(ふせ、じかい、にんにく、しょうじん、ぜんじょう、ちえ)の六つです。それぞれ、布施をする、戒を守り反省する、不平不満を言わず耐え忍ぶ、精進努力する、心を安定する、それらの実践によって智慧を働かせることです。
披岸とは幸せな悟りの境地のことで、それに対し、ストレスの多い現代がまさに比岸ではないでしょうか。年2回の春と秋の彼岸の時期には、ぜひ、人が幸せに生きることについて考えてみたいものです。
現代社会の中で、人は損得だけで物事を考え、比較したりすることで脳み、自ら比岸の世界をつくり出しているのではないでしょうか。お彼岸という節目を、そういう価値観を手放し、解放される機会にしたらどうでしょうか。
自分という人間がこの世に生を受けることができたのは両親、祖父母、會祖父母、さらにそのご先祖さまたち沢山の先人のお陰です。その中のひとりが欠けても今日の自分はありません。まさに奇跡の命なのです。
すべての生き物にとって、かけがえのない命。自分に命を授けてくれたご先祖さまに感謝したいと思います。このお彼岸の機会にそういうことを意識すること。日常の忙しさの中で、知らず知らずのうちに身に付いてしまった損得の価値観から離れて、自分を見つめ直す機会にもしてみましょう。

お墓参りは本堂のご本尊をお詣りしてから

お墓参りに特別の作法はありません。境内にお墓のある方は、忙しくて時間がない場合でも、必ず本堂のご本尊さまにお詣りしてからお墓に向かいましょう。墓石をきれいに洗い、周りも掃除してお花やお線香をお供えします。

冬のお寺は寒くて、雪もあってお参りもたいへんです。今年の1月、2月は冷蔵庫の中にいるようでした。写真でご紹介。

したたり落ちる水も凍ります。

つららが豊作でした。

おととしほどではないが、しっかり積った真っ白な雪でツートンカラーの塀。

とにかくよく積った雪です。屋根や境内はもちろん、卒塔婆の上にも。

墓地はとても短靴では行けません。

晴れても「さむ~い!!」と、青龍。



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